緊急事態宣言中は、対面形式がNGとなり、WEB開催のみとなりました。

※ハイブリッド形式 → ZOOM開催

◆日時
2021年9月16日(木) 18:30~21:00
◆プログラム
[件名]八千代支部例会【京セラフィロソフィはどのようにして生まれたのか】
[場所]Zoom
[概要]★八千代支部 9月例会★
◆報告者:(有)ライダースクラブ 取締役社長 吉田 祐介氏(八千代支部)

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京セラフィロソフィはどのようにして
生まれたのか
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京セラを世界一のセラミックの会社に発展させ、KDDIを成功に導き、
日本航空の奇跡の復活を成し遂げた稲盛和夫氏の経営のバイブルとも
言いえる「京セラフィロソフィ」を2年間かけて学んでいくにあたり
9月の例会では「京セラフィロソフィはどのようにして生まれたのか」
という原点について、八千代支部の若手のホープ、吉田氏の体験談を
まじえながら紐解いていきます。自分の会社を立派にしたい、自分の
人生をすばらしいものにしたいと素直に思っている方は是非ご参加
ください。多くの皆様の参画をお待ちしております。

●参加費:無料

例会に参加して

「考え方で人生が決まる」
(有)八千代折込広告 代表取締役 石川 俊一 氏

中小企業同友会八千代支部の9月例会において、(有)ライダースクラブの吉田祐介氏(以下吉田社長)による「京セラフィロソフィはどのようにして生まれたのか」という報告がオンラインで行われました。これは今後二年間にわたって八千代支部で学んでゆこうとしている、京セラという企業をゼロから世界的規模の企業に育て上げた稲盛和夫氏の経営哲学がどのようにして生まれたのかについて、吉田社長自身の様々な失敗の経験をも踏まえながら語ってくださった大変興味深い報告でした。
 「京セラフィロソフィ」——その最も根幹にある思想は《人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力》という稲盛氏が独自の考えをこめたこの方程式の中に集約されています。きわめて単純に見えるこの方程式ですが、その右辺の各要素が「足し算」ではなく「掛け算」になっているところに稲盛氏の人生に対する深い洞察があることを吉田社長は示唆されました。
 吉田社長は、父親が経営していた二輪を販売する会社を引き継ぐまで、四輪のセールスをしていました。そのセールスにおいて、常にトップの販売実績をたたき出していた吉田社長は、もちろん「能力」においても、また「熱意」においても人より優れたものを持っていました。そんな自身の力をもってすれば、自分の会社もまた十分発展させることができると意気込んで会社を引き継いだのでした。しかし、11か月後、結果として吉田社長を待っていたものは、社員の一斉退社という事態でした。なぜそんな事態に立ち至ったのか、吉田社長は考えました。
自分には仕事を取ってくる「能力」もある。「熱意」もある。仕事も順調だった。
それなのになぜ・・・。自分の経営姿勢の在り方への反省を含めてその原因を考えながらも、その明確な答えが見つからないままでいたとき、「京セラフィロソフィ」の中にある《人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力》という方程式に出会ったと言います。それまで吉田社長は、「仕事の結果」は「能力」×「熱意」のみで引き出せると考えていました。しかし、過去の自分を振り返ったとき、この方程式には、「能力」×「熱意」はプラスであるのにその結果がマイナスとなって出てくる理由が明確に示されていたのです。つまり、そこに本来掛け合わされるべき「考え方」の部分が、自分はマイナスに振れていたのだと吉田社長は気づかれたのでした。たとえば、夜遅くまで仕事を続けなければならないメンテナンス作業を行うサービスメカニックの人たちに対して「自分が仕事を取ってこなければ、サービスメカニックの人たちは給料が稼げない」という思いがあった吉田社長は、その傲慢さが態度の端々ににじみ、口では「おつかれさまです」などと言いながら、そこに当然入っているべき心からの感謝の思いを周りの人たちに抱くこともありませんでした。そんな自分が、いかに周りの人々のことを考えない「嫌な奴」だったかに思い至ったとき、社員の一斉退社という事態も、実は自分が引き起こした、いわば必然であったのだと吉田社長は語っておられました。
 いかにその人の「熱意」が高かろうと、あるいは、いかにその人の「能力」が優れていようと、「考え方」の部分がマイナスならば、けっしてその人にプラスの結果は生まれない、というこの「京セラフィロソフィ」の根幹をなす考え方は、もちろん、人生論としてもきわめて示唆に富むものであるのですが、それは特に経営者にとって大きな意味を持っていると吉田社長は述べておりました。なぜなら「会社というのはトップの器以上にはならない」と稲盛氏は述べているからです。
 稲盛氏の会社は当初、「自分の技術を世に問うための場」としてとらえられていました。けれども、将来に不安を覚える従業員たちからの連判状を添えた申し入れに直面した時、そのような「技術者としてのロマン」は捨て、「全従業員の物心両面の幸福を追求する」ことを目的として会社を経営することに決めたと述べておられます。それと同時に、「人類、社会の進歩発展に貢献すること」という一項もその経営理念に付け加えたのでした。そして、この一項を付け加えたことが、京セラという従業員28名から始まった京都の町工場を世界的な企業に押し上げた大きな原動力になったのでした。
 「目指すところが違えば登る山が違う」稲盛氏はその著書の中でそう述べています。目的・目標の高度によって、到達するためのアプローチ角は変わる。自分の会社をどこに持っていこうと思うのか、あるいは人生の目的をどのようにしようとするかによって、それにふさわしい「考え方」は違ってくるのだと稲盛氏は語っているのです。「人類、社会の進歩発展に貢献すること」という、一見途方もない経営理念こそが、京セラという会社を常に高みへと向かわせていたのでした。
 吉田社長は、稲盛氏の著作を読み、こんなにも美しい経営者になりたいなと今回の報告の中で述べておられました。吉田社長もまた、稲盛氏と同じように従業員からの反発を受ける中で、それまでの自分の経営姿勢を振り返らざるを得ない状況に追い込まれていました。同じような状況の中、突きつけられた課題に正面から向き合い、それまでの自分の存在意義と言っていいような「技術者としてのロマン」を捨て、なおかつさらなる高みを目指す稲盛氏の姿が、吉田社長には、自分を勇気づけ自分を導いてくれる「美しい経営者」の姿として映ったのだと思います。そして、挫折を糧にさらなる高みを目指すその姿を「美しい」ととらえることができた吉田社長もまた、はるかな高みを目指しながら歩いているのだな、とその報告を聞きながら私は思いました。